お気持ち表明のブログ

お気持ち表明

弟はいつまでもかわいい

 

私と弟にはほぼ14歳の年の差がある。

 

私が高校を卒業して、一人暮らしを始めてから10年以上は一緒に暮らしていない。

 

関係はまあまあ良好で、たまにメールを送ったり、私が一方的にプレゼントを渡すくらい。

弟は多感なお年頃にもかかわらず、誘ったら来てくれるし、部活も観に来て!とか言ってくれる。

 

母親には会わないけれど、たまに弟の顔は見たくなる。なので弟を誘ってお寿司を食べにいった。2人で一緒にご飯に行くなんて弟が小学生の時以来だったかな。たまに2人でこっそり行っていた家の近くの回転寿司屋は廃業してしまった。

 

今回行ったのは少しだけ値が張る回転寿司屋さんだった。弟は私に気を遣ってか、一番安い皿のネタばかり食べていてた。

対して、皿の値段をろくに確認もせず、回ってる寿司も見ず、板さんにバカバカ注文する私。あん肝とカニ味噌で酒を飲みたかったが、ドライバーなので我慢した。

 

弟があんまりに安い皿しか取らないので、好きなのを食べなよ、寿司ネタは何が好きなのかい?と聞いたら、

「特別好きなのはない」とのこと。

 

これはマズいな、と思った。

私も実家にいた頃は、何に対しても好き嫌いがなかった。一般的に好き嫌いが無いのは良いことと言われているけど、それは何に対しても無関心ということだ。本当は全然良くないのだ。

弟は、抑圧されていた当時の私そのものだった。

 

母親は本当に無個性化教育が得意なのだな。

 

 

弟はちゃんとありがとうも言えるし、人に気を遣えるいい子に育っている。

でも、「自分」がとても遠くにいる。

小さい頃あんなにいろいろ教えてくれた好きなものの話を、ひとつも話さなかった。

部活の楽しい話とか、好きな曲とかハマってるゲームとか、もっと聴きたかったんだけどな。

 

会う前からそうじゃないかと案じていたので、少しでも新しい、楽しい、美しい世界を見せたくて、私のお古のミラーレス一眼をあげた。これはとても喜んでくれた。

 

数年前にもエレキギター一式をあげたけど、使っているよという報告はない。

今回のカメラもそうだけど、趣味としてやれ、と強制しているわけではないので

今後こちらから、どう?使ってる?なんて話はしないつもりでいる。

でもいつか2人で写真撮りにハイキングとか行きたいなぁ。

 

 

久しぶりに会うのもあって、始終ぎこちない会話になってしまったが、なんてことない私のぼやきに笑ってくれた。そして帰り道に少しだけ自分から世間話をしてくれた。

 

 

弟はかわいい。ミルクもオムツも、絵本の読み聞かせも、ままごともライダーごっこもひらがなの練習も一緒にやってきた弟は、我が子のようにかわいい。

だけど、私は私自身が母親の呪縛から逃げきるので精一杯だったから

結局弟にも私と同じ苦労をさせてしまった。

 

償いというにはおこがましいけど、

弟にはたくさん好きなことをさせてやりたい。

 

いいもん食わしてやりたい、おしゃれな服とか買ってやりたい、弟が行きたいと言うなら遊びに連れて行きたい。お友達と遊びに行くなら足にしてもらってもいい。

パートナーを見つけたら、こっそり教えてほしい。

 

あれ?これ我が子っていうか、孫への愛みたいだね。

 

 

今度は弟とスタバに行きたいな。

注文方法知らない2人でわちゃわちゃやりたい。

友達がいない

 

友達がいない。

 

正確には、同性の友達がいない。

 

高校の同級生に1人だけ連絡先を知ってる同性の子がいるけど、もう何年も会ってないし、その子には友達がたくさんいる。

小中学生の時は友達もそれなりにいた気がするけど、私が転校したからそれっきり。facebookでは繋がっていても、個人的なやりとりは皆無。

大学の友達、当時1人だけ友達と呼べる子がいたけど、やたら友達が多い子だったので親友ではなかった。今はもちろん疎遠。

 

ネットの中には何人か友達がいた。

同性の子もいたけど、環境の変化やらなんやらで疎遠になった。

 

今は酒場で出会ったおじさん達だけが「友達」と呼べる存在だけれど、彼らには下心がある。

下心にあぐらをかいて酒を飲んでいる。

 

 

そもそも私は女性が苦手なところがあるらしい。女性にジロジロ見られたり、個人的なことを探られたりすると激しく緊張して逃げ出したくなる。目線を合わせることもできなくなる。

 

同級生にはどうしてだか、徐々にハブられていった。

年上の女性にはだいたい嫌われていた。

年下の女性には仲良くしてもらえても、それが友情じゃないことはわかっている。

 

今は身の回りを好きなもので固めて、自分が安心できる空間を作って、やっと自分の好きなものの話が好きなだけできるようになったけど、それが確立する以前は大変だった。

 

私はブスで、ダサくて、トロくて、プライドだけはやけに高い面倒な人間だ。しかも、これまでまともな人間関係を築くことを学んでこなかったコミュ障。

自慢できる特技も無くて、世の中のことを何も知らなくて、周りの視線が怖くて、フリートークが大の苦手だった。

こんな私に興味を持つ人なんていない。

 

 

で、とりあえず整形をした。

まぶたの埋没、20万くらいだったかな?

二重になって、可愛くなって自信が欲しかった。

あと男の人とお泊りする時、すっぴんになれないのが困ってたから。普段はメザイクバリバリ使ってたからそれなりに可愛いとは言われていたけど、すっぴん見られるのは怖かった。

これは今もだけど、中身が空っぽのブスがバレるのが怖い。

 

結局整形しても自信は手に入れられなかった。

 

 

次にやったのは料理?お菓子作り?編み物?

とにかく女性らしい趣味をたくさん作った。

私の苦手な女性像にわざと近づいた。

おかげで普通っぽい女性に紛れることができるようになった。

やっぱり友達はできないけど、私の中ではそれで合格だった。

 

 

本当に楽になったのはつい数年前。

「人は僻む、人は老いる、人はいつか死ぬ」

というのを理解した。

 

私のいろいろな苦悩と母親との軋轢は、切っても切れない関係がある。

子供の頃から「死ぬときは一緒だよ」と言われ続けたので母親の機嫌を気にしすぎていた。

布団に入ったら、寝ている間に殺されるのかも、とか思ったり、ときには殺され方を想像したり。

母親が荒れると私も荒れる。当たり前のことだけど、20数年間気がつかなかった。

 

それに気付くまで、母親と同じくらいの女性とは全く話せなかった。どこにどんな地雷があるかわからなくて怖かった。今も怖いけど。

 

 

数年前に思い切って母親の連絡先を消して、メールの返事をやめてみた。母親の住む家(実家とは呼ばないでいる)にも行かないことにした。

 

半年くらいはPMSとともにフラッシュバックして苦しかったが、1年、2年経つとそれも消えていった。

 

相変わらず友達はいないし、クソババアには難癖付けられ、まともそうな女性には遠巻きにされるけど

30年友達の居ない私は、ようやく自分と友達になれた気がしている。