お気持ち表明のブログ

お気持ち表明

児童養護施設の記憶①

 

突然ですが、小学5年生くらいのときにキリスト教系教育法人の児童養護施設に短期間いました。

別に家庭に問題があった訳ではなく(全く無いとも言えないけど)、ただ母子家庭で、母と子の2人暮らしで、頼れる親戚も居ない状態で、母が手術することになったから、ほかに行くところが無かったから、という理由です。

 

この事はときたま、何かの拍子にふと思い出す程度で、自分の中で強烈な思い出だとか、人生が変わる体験だったとかは思っておらず、なんか特殊な体験したのかも?くらいのものなんですけど

せっかくだから覚えている限りのエピソードを書いていこうと思います。

 

 

①シスターに「可哀想に」と言われて嫌だったこと

②みんなで入るお風呂に入れなかったこと

③保育士?にイラつかれたこと

④夜這い未遂?に遭ったこと

⑤小さい男の子がセクハラじみた戯れ方をしてくるのを叩いたら、二度と近づいて来なくて悪いことをしたなと反省したこと

⑥小さい女の子が特定の保育士をママと呼ぶこと

⑦↑の保育士がお祭りに実の娘を連れてきて、⑥の女の子の心境を思うと切なかったこと

⑧夏休みだけど一時帰宅できない組のみんなで宮崎県のこどもの国に行ったこと

⑨持ち前のコミュ障で施設でも無事ぼっちになったが、1人だけ仲良くしてくれた子がいたこと

⑩男の先生が苦手だったこと

 

 

あれ、わりと覚えてる。

 

 

①シスターに「可哀想に」と言われて嫌だったこと

 

これは施設に入った初日の話。

キリスト教系の施設だったので朝も夜も食事の時もお祈りがあって、当然シスターも施設内をウロウロしていたのです。初めてシスターに会って話をしたとき、私の境遇を聞いて「可哀想に」と何度も言われたことで「えっ、私って可哀想な子だったの?」とびっくりしたのと、可哀想にって思われるの嫌だな、って思った記憶があります。「可哀想」という言葉へのネガティブな感情はわりと今も引きずっていて、最近では主に嫌味を言うときに使うなどしていますが、たぶんこれから福祉の仕事に就く上で重要になってくる考え方なのではないかと思います。

 

 

今ならわかる。「可哀想な人は、ずっと可哀想な顔をしていなければならない」と言われたような気がして嫌だったんだなって。

「可哀想な人に施しを与える」という考え方にアレルギーのようなものがあるのは明らかにこの記憶のせいです。

今後きっと障害受容とかその辺の考え方に関わってくる気がする。

 

 

 

キリスト教が嫌いなわけではないし、たまたま出会ったシスターがそういう人だっただけだと思うけど、あまりよくない記憶。